人の役に立つ

 09, 2015 20:53
最近「三浦由起子 翻訳」で多数検索されたり、
2chからのアクセスがあったり(注:筆者が書き込んだのではありません)と、
なんか徐々に有名になってきてる感じ。
そのうち「三浦由起子」で検索すると、
下の方の関連する検索キーワードに「三浦由起子 翻訳」って出るようになるんちゃうかな。
どうか炎上しませんようにwww

さて、世の中の仕事の多くは『人の役に立つ』対価としてお金を頂くのであるが、
翻訳という仕事は人の役に立ってるという実感が湧きにくい。

仕事自体も仕事上のやりとりもPC上で完結できるため、
半分翻訳マシンとして扱われてる感があるwww

ホムペの案件とかだと全世界に公開されるので少しは実感があるものの、
筆者の扱う案件は大部分が機密性の高い案件であるため、
翻訳したものが直接表に出ることは少ない。

翻訳会社から要望があればもちろんそれに添うようにするが、
説明なしで無言で渡される(=出来て当たり前と思われてる)ことが多い。

筆者は常に“読み手が誰か”を意識するようにしている。

読み手によって使用する用語を使い分けたり(例:同じ「眼科検診」でも、医学論文なら「Ophthalmic examination」を使い、一般向けの説明書なら「Eye check」を使う)、
文書の種類によって文調を変えたり(例:報告書なら簡潔な表現にする、プレゼン資料なら購入を促進するような語調にする)、
必要なら補足したり(英訳案件の場合、日本語では読み手の「常識」を前提として、カットされている部分があったりするので)とか。

読み手が読んだときに『違和感がないこと』(それが翻訳文ではなく、まるで原文であるかのように自然であること)が重要であると考えている。

しかし、翻訳が上手ければ上手いほど、
逆に自分の存在感がなくなっていくという矛盾www



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