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夜中に翻訳ソフトのポストエディット中。
翻訳ソフトの訳が意外にデキがいいので、ゾッとしています。
(もちろん、変で笑ってしまう部分もあるけどね。)

普段夜中に仕事やらないので、変なテンションで、
思わず妄想してしまいました。
※フィクションです。

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2066年。
紙というものがあった時代が信じられないように、
イチから翻訳していた時代など、私以外はもう誰も知らない。

すでに「翻訳者」という職業はなく、
かつての「翻訳者」に該当する職業は、
「AI管理者」か、「ポストエディター」の二択となっている。

翻訳は各個人がバラバラにするものではなく、合理性と整合性が最も重視されている。
いわば、『中央集権化』されたのである。
中央のAI管理者の指示のもと、各ポストエディターはAIが提示した候補をベースにして修正を行う。
彼らは常にAIに接続し、徹底的に管理される。
翻訳はもはやクリエイティブな活動ではなく、『管理される単純作業』である。

50年前、私は「AIによる翻訳」の第一世代となった。
しぶしぶながら時代に順応する者がいる一方で、AIによる翻訳を頑なに拒む者もいた。
その中には、トップレベルの翻訳者も大勢含まれていた。

AI管理者は、当時のトップレベルの翻訳者達にそれなりの金額を(いわば「退職金」として)支払い、
彼らが無意識に行っている『認知プロセス』の膨大な量のデータを収集することで、
彼らの技術はAIに組み込まれた。

画面に現れた文章を読んで、私は思わずくすりと微笑んでしまう。
かつてよく見た文章。私の師匠の文章をベースにしているのが一目瞭然だったからだ。
サンプル数が少ない文章には少し「クセ」が残っており、そこに人間性の片鱗を見るのである。

師匠がすぐそばにいるように感じる。

私は目を閉じた。

その方々が生身で生きていた時代を思い出す。
AIは翻訳者の「みんな」の集合知なので、
死んでからも、こうしてずっと一緒にいられるのだ。

私自身も生物学的寿命が近付いている。そのうちAIの一部となるだろう。

私は前時代の翻訳者の方々と、その功績を忘れません。
忘れません。
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