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最近、学会記事「NLP2021 ワークショップ:文章の評価と品質推定 ~人間・機械の「作文」の巧拙をどう見極めるか?~」が出されましたので、
ちょうどよい機会ですので、同会に参加した他の翻訳者からの感想を掲載いたします(文系の翻訳研究を学んでいらっしゃった方です)。
NLP2021感想(他の翻訳者)

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今回の大会で、私が視聴することができたのは翻訳に関するものがほとんどでしたが、全体として抱いた感想としては、アカデミアと実務での「翻訳」に対する認識の違いです。(一方は研究対象として、他方はお金を稼ぐ手段として見ているのですから、当たり前なのですが)翻訳研究などの研究者の方(NLPで発表されていた方も含む)は、「こういう点を研究することは学術的に価値がある」「ここが言葉の面白いところ」などといった知的好奇心ベースや新規性が求められます。翻訳者の方は、自分の商品として翻訳を見るため、学術的な価値よりも、実用性の観点から論じることが多いように見えます(情報源はSNSしかないので実際にはわかりません)。「不気味の谷現象」のように、ロボットだと、人間に近すぎると人間は「怖さ」を覚えると言いますが、機械翻訳が翻訳者による翻訳に近づけば近づくほど、ちょっとした違和感が「怖さ」につながっていくというような「不気味の谷現象」が翻訳についても生じているのだと感じました。
現在は翻訳者として働いていますが、いずれは実務翻訳者の視点を持って博士課程に進みたいと考えており、今回いただいた機会は、自分の視野の狭さを感じられる貴重な経験となりました。実務で機械翻訳の活用を求められるケースも多いため、機械翻訳への理解を深めたいと思うきっかけとなりました。まだ読み込めていない発表資料もあるため、引き続きいただいた機会を活かしていきたいと思います。

③特に印象に残ったプログラムについての考察
1.「執筆・翻訳のための制限語彙の構築とその自動化の検討」
こちらの発表では、文章を構造的に捉えて設計されていたが、文化の違いという視点から、「多」言語に翻訳される場合について考えていきたい。現在日本の翻訳会社を通してMLVからIT関連の翻訳案件を依頼されることが多いが、各案件に特化した機械翻訳や翻訳メモリがどの程度実際の翻訳に活用できるかという視点で見ていくと、実際に使用した際の感覚としての実用性はまちまちである。発表で触れられていたように、執筆時原文での表現の統一も必要になる。原文が校正されているものは比較的それらを活用することができるし、校正されていないものはまったく使えないこともある。案件に合わせた用語ベースで固有名詞やその分野での動詞の定訳が設定されている場合があるが、文化的な枠組みが異なる単語を慎重に扱う必要があると考える。
まず、日本語と英語の単語の間に意味的なずれがある場合に、一度当てていた単語が文脈と食い違うことがある。例えば、日本語で「責任」と訳される(ことが多い)英単語に「Responsibility」と「Accountability」があるが、両者にはどの時点での(日本語でいう)責任かという点で意味的な違いがある。「Accountability」という単語を「説明責任」と訳す場面もあるが、この訳が当てはまるかどうかは文脈に依存する。ただ、その文脈を十分に理解するためにはある程度ソース筆者に説明を求めるため質問する必要がある場合もあるが、その言葉の文化的な違いが自文化の枠組みの中で理解が難しいものだとしたら質問の意味もうまく伝わらないことがある。
アイヌ語では、雪を状態によって呼び分けていると聞くが、その違いを明確に理解し日本語の文化にあった訳文を出力するには、どの程度ターゲットの文化に触れる必要があるだろうか。反対に、アイヌ語を話す人の間では当然のように理解している言葉を文化の異なる人間に説明するのも困難を伴う。言葉は生活に紐づけられており、生きてきた文化が違う場合、そしてそもそも違う人間なのだから、完全な理解や説明は難しい。「仕事の責任を負う」のか「仕事の責任を果たすのか」。そもそも日本語ではあまり意識することがない事後事前の責任の違いをどのように読者に伝えるのか。この「Accountability」をどういう意味で使っているかの説明を求める場合、その意図を包括的に表現できる単語は日本語には存在するだろうか。
また、言葉自体の文化を考慮する必要があり、ソースの筆者にも他言語に翻訳されることを意識した文章作成が求められる。IT系の翻訳を行う際は、単語がタグに置き換えられることがある。例を挙げると、「(tag) found.」のようなものだ。この(tag)に入るものは「No errors」や「One error」になるが、両方のケースに合う日本語として自然な「(tag) found.」の訳は何になるだろうか?日本語と英語の構造上の違いから、単語を当てはめることはできても、日本語として不自然になってしまうことがある。
このような文化的な差異をターゲット文化に落とし込むのが人間による翻訳の役割の一部であるが、文化的・意味的な使い分けを、ソースの筆者とターゲットの翻訳者が共有することが難しいケースも存在する。ここまでで記した内容を考慮すると、各会社に特化した用語ベースや翻訳メモリ、機械翻訳ではなく、より内容や事業を細分化した上で、それぞれの言語で異なる枠組みを作った上で運用する必要があると思う。

2.ワークショップ3:文章の評価と品質推定〜人間・機械の「作文」の巧拙をどう見極めるか?〜
このワークショップの中の翻訳のグループでは、実務翻訳での品質評価基準が共有された。私が担当する案件でも、同様の基準を使って案件のたびに点数が出され、必要に応じてArbitrationを行う。実際には、短い文書の翻訳の場合は1つのミスの比重が大きくなるなど、その妥当性に対する疑問は残るが、翻訳を「作品」というよりは「商品」として捉える実務翻訳での評価基準としてはある程度納得できる。このような「翻訳」の違いについて触れる。
ディスカッションで話題に上がっていたように文学作品の翻訳は、翻訳研究でも「神格化」されているように感じられる。翻訳はソースからターゲットへの変化とその過程を指し、イコールなものは存在しないが、間違ったものはなく訳し直したものそれぞれが正しいものであると考える。ただし、これは文学作品のように編集者や校閲の目を通った後の「作品」の状態であることから、「商品」化される前のものを評価する実務翻訳とは評価対象が異なる。
実務翻訳の評価基準の中にデザイン性が含まれていた。私の研究対象だった絵本では、文字の翻訳は絵があってのものだった。例えば、児童文学を低年齢向けの絵本に翻訳・翻案する場合、絵に描かれている情報が文字では省略されることがある。ディスカッションでも挙げたように、漫画作品では絵自体もターゲットの文化に合わせて翻訳する場合もある。私が直接取引している会社の案件では、Adobe IllustratorやInDesignのデータをそのまま自分で翻訳することが求められ、必要に応じてデザインを変更することも許されている。ウェブサイト全体を翻訳し、ドメイン選びからボタンの配置や配色に至るすべてを任されることもある(ここまでいくと「商品」としては「ローカライズ」とも)。このように、翻訳研究に携わり、デザインと翻訳の両方を仕事にしている私にとって、機械翻訳分野の方のデザイン性に関する無関心や「他分野感」は興味深いものだった。
例えば、マニュアルを訳す場合は、タイトル部分と地の文では訳し方が変わる。また、どのようなフォントにすれば日本語で自然に見えるのか、文学作品の雰囲気に合っているかなども翻訳の一部として考えられる。スマホのアプリでも、道路標識などをカメラに移すと自動で希望する言語に翻訳してくれるものがある。翻訳がテキストとして打ち込まれた文章のみを対象とするわけではない限り(写真や音声からの翻訳は一度テキストに起こしているのだろうが)、翻訳とデザインは切っても切れない関係にあると考える。このような文脈で、機械翻訳を作っている方は、翻訳を「製品」として見ていて、機械翻訳を使ってビジネスを行なっている人は翻訳を「商品」として見ているように感じられた。いずれにせよ、機械翻訳を使用する消費者や企業から需要がある場合は、デザイン性を配慮した「商品」が生まれることがあるだろうし、そのために「製品」の製造にお金や時間が投資されることも考えられる。音声を文字起こししたり写真から文字を読み取ったりなど、機械翻訳を他の技術と併せて商品化するとデザイン性を伴う「商品」や「作品」としての翻訳と化すこともあるだろう。現状は、この機械翻訳にデザイン性など商品化するためのテキスト以外の要素を翻訳者が付与しているのだと思う。

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