日本語に直すと「意訳し過ぎ」という意味になるのかもしれない。
“意訳”とは「どこから」、そして「どこまで」許されるのであろうか?
本来なら、翻訳のベストな形は“equivalence”であり、
「もし原文の筆者が日本語ネイティブ(もしくは英語ネイティブ)なら、こう書くんだろうな~~」
という表現が一番望ましいはずだが、
そうはいかない場合もある(特に原文に該当する“概念”自体がターゲット言語にない場合)。
文芸だと、
「Aは○○、Bは○○、Cは○○、全体として○○である」と書いてあっても、
「全体として○○である」の一文だけで要約できる場合もあるが、
実務翻訳(例えば仕様書)だと、
「Aの要件は○○、Bの要件は○○、Cの要件は○○、全体として○○という携帯電話である」で
「全体として○○という携帯電話である」だけでは
仕 様 書 の 意 味 が な い www
そういう理由もあって、筆者は実務翻訳の方が好きなのだが、
たまに文芸分野の仕事が来るといつもその境界線に悩まされる。
ということで、文芸翻訳が得意な人はお知恵を拝借させていただけますと幸いです。
むしろ 業 務 提 携 してください(笑)
“意訳”とは「どこから」、そして「どこまで」許されるのであろうか?
本来なら、翻訳のベストな形は“equivalence”であり、
「もし原文の筆者が日本語ネイティブ(もしくは英語ネイティブ)なら、こう書くんだろうな~~」
という表現が一番望ましいはずだが、
そうはいかない場合もある(特に原文に該当する“概念”自体がターゲット言語にない場合)。
文芸だと、
「Aは○○、Bは○○、Cは○○、全体として○○である」と書いてあっても、
「全体として○○である」の一文だけで要約できる場合もあるが、
実務翻訳(例えば仕様書)だと、
「Aの要件は○○、Bの要件は○○、Cの要件は○○、全体として○○という携帯電話である」で
「全体として○○という携帯電話である」だけでは
仕 様 書 の 意 味 が な い www
そういう理由もあって、筆者は実務翻訳の方が好きなのだが、
たまに文芸分野の仕事が来るといつもその境界線に悩まされる。
ということで、文芸翻訳が得意な人はお知恵を拝借させていただけますと幸いです。
むしろ 業 務 提 携 してください(笑)
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